7月だったか、いつだったか、引越してきた街で夫とバーに行った。何でそんな話になったかわからないのだけれど、バーテンダーが、アルコール依存症のお客さんの話をし続けた。
それが関係しているのかどうなのか、その頃から夫が私のお酒ののみ方を心配するようになった。
私がどう飲酒するのかとか、なぜそうなってしまうのかとか、割愛するが飲酒がエスカレートする傾向がある。夫に心配と度々言われるうちに、自分でもそうなのかもと思うようになってきた。
酔う感覚が好きでお酒が好き。けれど、呑んだ日を振り返って落ち込むことが多い。
近年そうなるの理由は以前よりも、自分の空気の読めなさに気付けるようになったからだろうかな。
お酒を楽しむこととお酒に頼ること
それで楽しいことがむちゃくちゃある。
けど、落ち込むことが半分くらいある。
今日は物凄く好きなシンガーソングライターのニューアルバム先行試聴会に行ってきた。
大袈裟に言うと、お客さんに30代は私くらいだったんじゃないだろうか。若者ばかりだった。
考えが散らばっていて、なぜ、自分が落ち込んでいるのかを文字にするのが難しいが、
他者がいる空間では、自分の心が大丈夫であるために行動をする。最中にいるときには、思った事を行動しないと、パニックが起き始める。頭の中が不安感と「こうしなきゃ」でギチギチになり、他の方法を考える余裕がない。
今までそうやってやってきてしまった。目の前の事に脊髄反射で動いてきただけ。
それ以外の方法知らなかったから、気持ちのままに動くしかできなかったのか。
何を言いたいのかというと、あのとき他者に迷惑をかけてなかったかすごく心配になった。
自分の行動を振り返って、その時の自分はそうするしかないと思ったけれど、他の選択肢でも楽しめたのであれば、他の人と同じになれた。私は私で楽しんでいたが、みんなはどんなふうに楽しんでいるのかが、全く想像できない。(かと言ってみんながやっているからやるは物凄く嫌い…ん?それとこれとは別か?)
今日のイベントは、リラックスして、作品を聴きながら、壁のポスターみたり、テーブルのお菓子食べたり、サンブルのCDみたり、本人と話したり、友人と話したり、踊ったり、そんなふうかなと会場の雰囲気から感じた。けど、実際はストイックにアーティスト不在の、スピーカーのある正面だけを向いて黙々と聴いている人達ばかりだった。
みんな、そうしにきているのかもしれない。だから、そうできないヤツは邪魔なのかもしれない。
モヤモヤが何なのかを考えて、そんなふうに思った。
お酒無いとやってられんなと早々に呑みを重ね、誰の視界にも入らないように一番後ろで音楽を楽しんできたが、心にモヤモヤが残っている。
そもそもお酒を入れてから会場へ行った。から、お酒のむスイッチが入っていたのかもしれない。まずは、フライングの飲酒をやめてみるのがいいかもしれない。それができないのが問題なのか。頭に飲酒の選択肢が浮かぶと、そこから離れるのが難しい。そして、呑み始めると呑みすぎてしまう。
お酒と、情緒と、考えの調節ができない。
「のまない」
「参加しない」
そんな選択ができる自分だったら、落ち込むこともかなり少ないだろうと思う。
それができていない。
想像もできない。