どうしてそうなったのか

お盆休みが終わり、今日から出勤だった。(16日)

朝、ゆるゆると準備をしていたら、家を出たい時間が迫りバタバタ。お米を炊いたのに、お弁当が何一つできていない。

そのときは「縦にしても汁漏れしない弁当箱」を使いたい気分だった。容器はお米とおかず✕2のスペースに分かれている。

お米を詰めて、前日に作ったひじき煮を入れて、までは良かったのだけど、最後のスペースに入れるものがどーしてもない。卵を焼く時間もない。

ので、お米を詰めてしぐれをのせた。f:id:shiozukenouryoku:20220817012725j:image

お弁当箱に入っているから違和感があるけれど、「おにぎり2個とおかず」をイメージして比べると、内容はそんなに変じゃない。(ただ、今考えると、おにぎりにすれば良かったんだなぁと。でもまぁ、時間が無かったからこうなったのか)

働き先では、フリーお味噌汁があるので、いただいた。ひじき煮は美味しくできていた。

 

ひじきは好きなのだけど、作る工程がキツい。

集合体恐怖症なので、水で戻している状態の「水中のひじき」がかなり苦手。

集合体の何が嫌って、いろんなパターンがあるのだけれど、コントラストが強いものが特に駄目。

白いボールに1割くらいの黒いひじきが隙間をつくり浮かんでいて、それらがつくる白と黒のコントラスト…息が止まる。

 

23歳くらいの頃、物語や人の話に触れるとき、自分は情景を想像していないことに気付いた。言葉を撫でて、言葉に反応していたんだと思う。

それからは意識して想像するようにした。

 

当時のマイブームで、会話のキッカケとして「何かに対しての恐怖症ありますか?」と聞いていた。人によって内容も答え方もいろいろ。無い人は不思議と同じ間を持って「無いかな」と答える。面白かった。

誤算なのが、話してくれる恐怖症を想像し、共感するようにしたら、自分の恐怖症になってしまったこと。

それが増えている自覚がかなりあったので、聞くのをやめた。

 

感受性が強いようなので、もしかしたら自分を守るために共感しないようにしていた部分もあるのかもしれない。

ただ、積み重ねた想像力の無さで、何人もの人に嫌な思いをさせ、怒らせてしまった。

その点についてずいぶん反省した。変わりたい気持ちが強くあり、試みている2022年である。